映画TV関連分野

プロショップとしての船出

1958年、ナックはカメラ、レンズそして映像にあこがれた人々によって創業されました。東京都心には「東京タワー」が完成し、てんとう虫のあだ名で親しまれた「スバル360」が発売された年です。日本は敗戦の混乱期を脱し、再び活気を取り戻しつつありました。

映像に関わる仕事として、ナックは映画カメラのプロショップ(小売店)からビジネスをスタートしました。本社(お店)は銀座一丁目です。 当時の銀座はカメラビジネスの中心地でした。これは、おそらくは銀座4丁目の「和光」が米軍に接収され、将校用のデパートメントストア(PX)であったためと思われます。 将校たちは圧倒的に強い米ドルを元手に、敗戦国ドイツや日本のカメラ(ライカのようなスチルカメラや16mm映画カメラ)を買い求めました。将校たちが多く集まる銀座にはカメラの需要があったのです。

ページ冒頭の写真は初期の会社案内から引用しました。当時の「お店」の様子を知ることができます。BOLEX(スイス)、Bell & Howell(米国)、ARRI(西ドイツ)など欧米の映画カメラを日本の映像作家に販売していました。会社案内にある「この棚が世界につながっている」というコピーに、世界の一流カメラを取り扱うものの喜びと誇りが感じられます。

しかし、それら一流のカメラサプライヤーにとって、ナックは極東の小さな販売店に過ぎません。当然、輸入商権(代理店権)は得られず、大手輸入業者の下、ナックの活動は制約されていたといえるでしょう。ちなみに当時の日本における、ARRIカメラの総代理店は「大沢商会」という伝統ある大手商社でした。新興ナックにとって、規模、歴史ともに対抗できるような相手ではありません。