ロンドンに設けられた開発拠点|匠の技06

ロンドンに設けられた開発拠点

1981年に家庭用VTRでも再生可能なVHS方式を採用したカラー・ハイスピードビデオ<HSV-200>。1987年には記録速度を2倍にした<HSV-400>を発表。ナックはハイスピードカメラメーカーとしての地位を着実に築いていた。そうしたなか、次なる大きな目標の一つに、ナックは超高速度カメラ開発を据える。

 

ハイスピードカメラ市場はその撮影速度によっていくつかに分けられる。主に100万コマ/秒以上の撮影速度領域は超高速度、ウルトラハイスピードと呼ばれ、市場規模という意味ではウルトラハイスピード市場は非常に限られた範囲となる。戦略的に考えればウルトラハイスピード領域に手を出すのは経営効率が悪い。だが、ナックは「ハイスピードカメラメーカーとして世界最高峰に挑戦する」という経営判断を下し、1987年、ロンドンに開発拠点IMCO ELECTRO-OPTICS社(以下IMCO)を設立する。開発拠点を海外としたのは、優秀な超高速度カメラ開発技術者の獲得が可能であること、さらに国内ではすでに次世代製品の開発が進められており、開発リソースのバランスを考えた結果だった。

「ちょうどそれまで勤務していたメーカーが郊外に引っ越すことになって転職を考えていた時期にIMCOの求人を目にしました。正直ハイスピードカメラのこともIMCOがどんな会社かもよくわからなかったけれど、日本の会社ということで『exotic』、『おもしろそう』だと思いました」IMCOのスタートメンバーであるマーク・リッチズはナックとの出会いをそう振り返る。大学で半導体の設計、製造などを幅広く学んだリッチズは学生時代からインターンとしてGECGeneral Electric Company ※1))グループに勤務。軍事用のレーダーの開発やモノリシックマイクロ波集積回路※2の設計などに関わっていた。
 
「カメラに関してはまったくの素人だった私が採用されたのは、GECでの経歴からガリウムヒ素など素材分野の知識があり、ICの回路設計、プロセス設計の両方の知見があったからでしょう」
 
IMCOは最大撮影速度2000万コマ/秒、最大撮影枚数24枚という、世界最高峰の製品開発をスタート。なかでも半導体の素材から回路設計に至るまで高い知見を持っていたリッチズは、その中心となって開発を牽引していくこととなる。

HSV-1000

 

IMCO設立の翌年、1987年にナックに入社した柳は入社と同時に国内で開発が進められていた次世代基幹製品<HSV-1000>の開発チームに加わる。
 
HSV-1000>は1000コマ/秒の性能を誇るカラーハイスピードビデオ。ハイスピードビデオとしては当時の世界最速を目指し開発が進められていたもの。高速度で記録可能なヘッド部品の自社生産体制を構築するなど、ナックのものづくりにとって大きなエポックとなる製品だ。
 
この製品で柳が担当したのは主にレコーダー側のファームウェアの開発。
HSV-1000199011月に発表。かなりの高額製品であったにも関わらず、国内外の企業、研究開発機関から注目を集め、累計467台というこの分野では異例ともいえる販売実績を達成する。

 

入社と同時に世界一の製品に関わった柳だが、その思い出を聞くと意外にもそっけない。

 

「まだ新人でしたから自分自身が開発に関わったという認識は薄くて、与えられた役割をこなしたという感じですね。<HSV-1000>の開発を終えたのち航空機搭載型レコーダーの<SSVCR>の特注開発に関わり、主にオーディオ回路を担当しました。ノイズ対策など、目の前の課題をクリアすることに注力していました」

※1  かつてイギリスに存在した総合電機メーカー。アメリカのGEとは無関係。
 
※2 Monolithic Microwave Integrated Circuit。略称MMICマイクロ波回路微細加工技術により単一の半導体基板上に形成した集積回路。