スポーツ中継で鍛えられた新人カメラマン時代|ユーザーズボイス08

「良い作品を作りたい」
その基本だけは変わらない

株式会社フジテレビジョン
技術局 制作技術センター 制作技術統括部
カメラマン

星谷 健司 

スポーツ中継で鍛えられた
新人カメラマン時代

──

大学生活では夢であった航空管制官に向かって一直線という感じでしたか?

星谷

いや、元々が映画を見ての子供の素朴な憧れみたいなものでしたから、大学に入ってからは徐々に現実を見て地道に勉強していくという感じになりました。

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電気通信大学というとおそらく多くの方はNTTや富士通、NECなど技術系の会社に進みますよね。そこからテレビ業界というのはどんなきっかけがあったのでしょうか?

星谷

大学時代に僕はフォークソング部に所属していまして・・・ここはあまり深く突っ込んで欲しくないのですが(笑)。そこの先輩の一人がTBSに技術職で就職して、話を聞くとすごく面白そうだった。それで「そうかテレビ業界には技術職っていうのがあるのか」と思い、就職活動で意識的に放送業界を研究し始めました。ただ僕、実は学生時代テレビが部屋になかったんです。テレビがあるとそれに夢中になって勉強しなくなっちゃうと思っていたので。だから当時流行りのバラエティーとかドラマとか知識が全然なかった。大学時代の仲間がしゃべっているのを聞いて、番組名だとかタレントさんの名前をかろうじて知っている程度。だから放送業界を目指す上で最初にやったのが部屋に小さなテレビを買うことでした。

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なんと、後にドラマのカメラマンになる学生の部屋にテレビがなかったとは!意外すぎます(笑)。ところで、理科系の就職というと研究室の先生と企業とのつながり、いわゆる先生からの推薦や紹介という形も多いと聞きますが。

星谷

メーカーの技術職にはそうした推薦や紹介という形もありますが、残念ながらテレビの世界にはそういうルートはありませんでした。その意味では完全に自分の力で道を開かなくちゃいけなかった。まずは大学4年になる春休みに、テレビ朝日で職場体験、いわゆるインターンの募集が学部にあってそれに応募しました。学部で2名という狭き門だったのですが、それをじゃんけんで勝ち抜きました(笑)。

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引き寄せる運があったということですね。

星谷

そうですね。そこで一週間、テレビ技術の基礎の基礎を体験し、その後、フジテレビでも同じようなインターンに参加。テレ朝である程度基礎を学んでいたので、フジでは同じインターンの仲間の中では少し知ってる奴ということでポイントを稼ぎました。

──

結果、その流れからフジテレビを志望し入社へとつながっていく?

星谷

はい。一次、二次と面接を終え、とんとん拍子に最終面接へと進んだという感じでしたね。当日はちょうど技術職の面接の前が女子アナの面接で、それがすごく伸びて予定の時間を大幅にオーバーしたんですね。それで僕ら技術職の面接開始がすごく遅れたうえ、個別面接ではなく集団面接に変更になりました。面接自体は始まったと思ったらあっという間に終わった感じでした。ただ、この日は今でも忘れることのない衝撃的な日で、実は1985年の8月12日。日航機が御巣鷹の尾根に墜落した日だったんです。帰ってからニュースで知りました。

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それは間違いなく記憶に残る日ですね。たしか、フジテレビさんが最初に現場から生中継したと記憶しています。私も当時の報道映像をよく覚えています。ところで、星谷さんは技術職で入社されたわけですが、カメラマン以外にも音声、中継エンジニア、機器関係、さらには放送技術や機材の開発など、幅広い職種がありますよね。

星谷

とにかく派手で分かりやすかったのがカメラマンで、当然人気も高い。僕も入社当初からとりあえずカメラマン志望で、運良く同期から2名のカメラマン枠に入れました。ただ理由は「分かりやすかった」ってことで、当時は「こんな画を撮りたい」「こんなドラマを撮りたい」という明確な目標があったわけではありませんでした。

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以来、ずっとカメラ一筋ですか?

星谷

途中、3年間マスタールーム※1に入ってエンジニアをやっていたこともありますが、大きな流れとしては入社以来カメラ一筋ですね。もちろん中継、バラエティー、ドラマなど対象は色々と変わっていますけれど。

──

ある意味希少な経歴ですよね。

星谷

たしかに。バラエティーのカメラマンだとのちにスイッチャー※2やテクニカルディレクター※3になる人も多く、この年齢でずっと撮っているという人は少ないかもしれません。

──

星谷さんというとドラマのチーフカメラという印象が強いのですが、まず入社後の最初の仕事はどのようなものだったのでしょうか?

星谷

同期二人のカメラマンのうち、もう一人がスタジオ班で僕は主に中継班に参加していました。ジャイアンツ戦を中心としたプロ野球中継。フジですから競馬中継。それにF1やゴルフ、バレーボール、ボクシングなど、数多くのスポーツ中継に加わりました。なかでも数として多いのはプロ野球、競馬、ゴルフ。ゴルフなんかまったくやったことがないから競技のルールなどもよく分からない。先輩から「ゴルフを撮るなら勉強しなきゃダメだ」と言われ、慌てて安いクラブを買ってゴルフを始めるなんてこともしました。

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中継では、たとえば野球でいうと、最初はどの位置のカメラを担当するのですか?

星谷

センターから投手と打者を捉えるカメラですね。

──

中継でいうともっとも使用される画ですね。あれを新人が担当するんですか?

星谷

あのカットはほとんど動かさない画なので、一度決まってしまえばじっとしていればいい(笑)。だから中継で使われる頻度は高いけれど、スキルとしてはそう高くはないんです。ただそれでも右バッター、左バッター、右ピッチャー、左ピッチャー、またピッチャーの投球フォームによって、微妙に画面内に入る選手の位置やサイズが異なる。それが最初はなかなか決まらなくて、チーフカメラマンから「右が空いている」「もう少し画角を詰めろ」とか頻繁に指示、というか怒られてばかりいました。

──

そういう中継の現場に入って、他のベテランカメラマンと仕事をすることで、いろんなことを吸収していくわけですね。

星谷

ええ。野球でいうと相当スキルが必要とされるのが、一塁側から狙っている“3カメ”といわれているカメラの画。そこは当時、ベテラン職人のような人が担当していて、内野にゴロが転がる、フライが上がるといった状況変化に対して瞬時に反応し、撮影の難易度が高い迫力のある画をほぼ確実に押さえてくれるんです。ただ、一般的には試合に動きがあった場合、まず内野スタンドの上段から撮影している“2カメ”といわれる広い画のカメラにスイッチして状況を見せ、同時に次にスイッチする最適なカメラの画を探して切り替えるのがセオリー。まあ、これが安全なスイッチングの手順ですね。でも、スイッチャー担当の中には、試合が動くと同時に2カメではなく3カメの画にダイレクトにスイッチする人もいました。これはよほどカメラマンとの間に信頼関係がないとできないこと。良い画が撮れていれば迫力のある映像が放送できますが、撮影の難易度が高い分だけ絶対はないわけです。

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“一塁側からの3カメの画”は確認せずともほぼ確実にその瞬間を捉えている画なわけですね。

星谷

そう。ベテランカメラマンとベテランスイッチャーの阿吽の呼吸というか信頼関係。この流れでこのカメラマンであれば面白い画が撮れているはずだという信頼がある。だからこそ迷うことなくそこ=3カメを選択する。

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まさにそうしたことは経験でしか獲得できない技なのかもしれませんね。

星谷

いや本当にそうで、中継班には打球音で方向がわかるとか、個々の打者や投手の投球の癖を把握していて、起こりうる状況を予測するなど、超人的な技を持ったベテランのカメラマンの方がたくさんいて、そういう方々と一緒の現場で鍛えられました。

* 1 マスタールーム(主調整室)
制作された番組素材やコマーシャルなどを、事前に決められた放送進行表に従って順番に並べ、送信所に送り出すことを目的とする設備のこと。放送局内に設置されており、送信所に番組を送り出す以外にも、系列局などに番組を送り出す作業も行っている。

* 2 スイッチャー
中継放送やスタジオ放送の際に、撮影している複数台のカメラの中から放送に流す最適な映像を適時切り替える操作を行うエンジニア。

* 3 テクニカルディレクター
放送の現場における技術部門を統括する責任者。各種撮影機材の選択、機材・エンジニアのスケジュールや割り当てなどの管理また一部予算管理も行う。