祖母の影響で幼い頃に能の舞台に立つ|ユーザーズボイス10

リアルタイムCG合成の世界
トップランナーだから見える未来

株式会社サイバーエージェント/株式会社CyberHuman Productions
AI事業本部 CG R&Dグループ

津田 信彦 

インタビュアー: ナックイメージテクノロジー 川瀬 健太 

| USER'S VOICE | USER'S VOICE 10 株式会社サイバーエージェント

プロフィール

津田信彦(つだ・のぶひこ)愛知県知立市出身。大阪芸術大学放送学科を卒業後、映像制作会社に勤務。2016年サイバーブル入社、2019年サイバーエージェントへ転籍。カメラマン、リアルタイム合成エンジニアとして活躍する。

10回目を迎えるUser’s Voiceにご登場いただくのは、株式会社サイバーエージェントの津田信彦さんです。コロナの影響もあってライブ配信が大きく注目される中、日本でも数少ないリアルタイム合成のエキスパートとして活躍する第一人者です。トップランナーだからこそ見える世界についてじっくりお聞きしました。

祖母の影響で幼い頃に能の舞台に立つ

──

今回はサイバーエージェントさんの『カムロ坂スタジオ』にお邪魔して、リアルタイム合成のエンジニアでありカメラマンでもある津田信彦さんにお話をお聞きします。VFX(Visual Effects)の進化は近年ものすごいものがあり、我々が関わる映像コンテンツの世界、特に映画やCMではCGを使っていない作品の方が少ないくらいです。津田さんはその中でも、最先端とも言えるリアルタイム合成の第一人者。今日はそんな津田さんが、なぜこの世界に入ったのか、そしてこの最先端の技術はこの先どんな方向に向かうのかについて、じっくりお話をお聞きしたいと思います。

津田

このインタビューでは幼い頃に遡って聞かれるということで、受けるにあたって、過去の自分の歴史を遡ってシートにまとめて見ました(笑)。

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ありがとうございます(笑)。このインタビューは、人に歴史あり、という観点から、その方の“今”につながる歩みを根掘り葉掘り聞かせていただいています。ぜひよろしくお願いします。
まず津田さんは大阪芸術大学の出身ですが、生まれも関西ですか。

津田

いえ、地元は愛知県の知立市です。全国的にはあまり知名度はないかもしれませんが、愛知県の中部。ちょうど名古屋と豊橋の真ん中あたりです。

──

幼い頃、夢中になったものはありますか。

津田

自分から積極的にというわけではないのですが、能の舞台に立っていました。

──

能、狂言の能ですか?

津田

ええ。両祖母ともが能楽師だったんです。父方の祖母が囃子方といって太鼓の奏者、母方の祖母はシテ方と呼ばれる主役を演じる演者でした。母方の家には能舞台があって、そこでも練習しましたし、公演近くになると愛知の実家にも祖母がきて稽古をつけられました。僕は子方と呼ばれる子役になるわけですが、子方は主役であるシテ方の訓練を受けている最中の子どもが演じるのが一般的で、その意味では英才教育を受けていたことになりますね。

──

おばあちゃんとしては本格的に能の世界に入って欲しかった?

津田

おそらくそうだと思います。孫に期待していたのでしょう。ただ中学に入ってからは部活の野球に夢中になったりして、自分では能の面白さや良さに気づけなかったこともあって、自然とフェードアウトしていきました。

能の稽古をしていた頃の一コマ(写真左が津田氏)

幼い頃は子方として何度も本格的な能舞台にも立っていた

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能のお話だけでもかなりインパクトがありますが、そのほか幼い頃の津田少年を語る上でのエピソードは何かありますか。

津田

ヤクルトの配達ですかね。

──

あの健康飲料の?

津田

そうです。幼い頃から母が毎朝配達の仕事をしていて、それを手伝っていたのですが、小学校に上がる頃には自分の担当エリアを持って、毎朝早起きして配達を終えてから学校に行っていました。

──

お母さんのお手伝いではなくて、一配達員として?

津田

小学生だから多少エリアは狭かったかもしれませんが、朝5時半くらいに起きて配達に行って、それを終えてから朝食を食べて登校するのが毎朝のルーティーンでした。振り返ると良くやったなと思いますけど、自分にとってはすごく自然で、特に辛いと感じたことはありませんでした。

──

能のお稽古、そしてヤクルトの配達。なかなかのエピソードですが、振り返ってそうした体験が何か津田少年に与えた影響は?

津田

もちろんこちらは子どもですから、能のお稽古にしても配達の仕事にしても、周囲の大人は子どもへの対応だったのでしょう。ただそれでも稽古は真剣ですし、配達も仕事です。その意味では小学校のクラスメートとは違った大人との会話、大人の社会の一端に触れられた。そんな関わりを幼くして経験できたのは良かったのかなとは思います。

──

中学に入ってからは能の稽古から離れ、野球に夢中になったということですが、それ以降はずっと野球少年という感じでしょうか。

津田

いえ、野球は中学までで、高校では弓道部に入りました。実家の近くに弓道の強い高校があって練習場が外から覗けたんですね。凛とした雰囲気がかっこいいなと思って、自分でもやってみたいと思うようになり、その実家近くの学校ではありませんが、弓道の強い学校を選んで受験しました。

──

日本の伝統つながりで、能をやっていた影響もあったのですかね。

津田

どうでしょう、ただ中学生の自分としては「かっこいい」って思っただけで、素人でも3年間やればそれなりにいいところまでいくんじゃないかって思ったんです。実際、高校の3年間は弓道に真剣に打ち込みました。一年生の冬から主将を任され、自分を含めてほぼ初心者ばかりの部員でしたけれど県大会3位。全国大会まであと一歩というところの成績は残せました。初心者ばかりで経験のない中では良くやったんじゃないかな。少なくとも自分自身は出し切りましたね。