授業よりも実践に夢中だった学生時代、人生の転機となった就職|ユーザーズボイス10

リアルタイムCG合成の世界
トップランナーだから見える未来

株式会社サイバーエージェント/株式会社CyberHuman Productions

津田 信彦 

授業よりも実践に夢中だった学生時代
人生の転機となった就職

──

大学は地元を離れて大阪芸術大学に進まれます。ここで現在の仕事との関わりが見え始めるわけですが。芸術系の大学へ進学を決めた理由は何だったのでしょうか。

津田

僕は大阪芸術大学の中でも放送学科に入学したんですが、そのきっかけもおばあちゃんです。実は祖母は趣味レベルですけれど本格的な映像編集機を自宅に備え、能の舞台や家族行事などいろんな映像を撮影しては編集して楽しんでいました。子どもの頃からそんな姿を見ていて、実際にちょっと機材を触らせてもらったりして、「こうやって動画をつなげていくのか」とか「音楽をつけるとすごくかっこよくなる」っていう面白さを実感していて、それが大学選びのきっかけになったと思います。

──

そうすると編集とか撮影とか、いわゆる技術系に興味があったのですか。

津田

いや、きっかけは動画編集でしたが、大学では広告コースに進んでディレクションといった企画サイド。広告などのコンテンツをつくるにあたってのコンセプトワークに興味を持っていましたし、あくまでも将来はそういう方向に進みたいとい思っていました。

──

コピーライティングだとか企画立案を大学で学んだわけですね。

津田

はい。ただ僕は入学当初から授業を受けていて「これは本当に実践で役に立つのかな」って疑問を持っていたんです。基礎的な理論は大切だろうけど、実際の社会ではいろんな事情が複雑に絡んで一つの広告ができていますよね。実際の現場では理屈より対応力であったり、経験からくる引き出しの多さ、工夫みたいなものが求められるんじゃないかと思い、自分で映像製作をしたり、広告コンペに積極的に応募するってことばかりしていた感じですかね。

──

その、社会をちょっと俯瞰してみる見方とかは、もしかしたら先ほどお話に出た子どもの頃から大人のコミュニティに接していたという経験からですかね。

津田

ちょっと自分では分からないけれど、とにかく座学の授業とかにはあまり興味が持てなくて、自分で何かをつくる。それこそおばあちゃんのお古でもらった小さなビデオカメラを持ってバイクでツーリングに出かけて撮影してそれを編集したり、広告の専門誌を見てはコンペ情報を仕入れてコピーや企画を考えてばかりいた学生時代でした。

──

おばあちゃんの影響が色濃く残っている感じですが、たとえば編集した映像をおばあちゃんに見せることは?

津田

正月など家族で帰省した際には必ず見せていました。ツーリングで撮って編集した映像を見せて、「このつなぎはどうやってるの」とか「この場面いらないんじゃない」といったアドバイスを貰ったりして。その意味では僕の動画の最初の師匠はおばあちゃんです。だんだんと自分の方が詳しくなって、逆にAdobe Premier Proの使い方を教えるようになっていきましたけど。

──

コンペの方はどうだったんでしょう、学生時代に何か残された作品は?

津田

スバルが公募したインプレッサという車のショートムービー作成のコンペがあって、その企画が通って車を貸し出してもらい、風景の綺麗な場所でロケをした短い動画をつくりました。Webサイトに公開されて、もしかしたらまだどこかにアーカイブがあるかもしれません。

──

津田さんはさらっとおっしゃいますが、それって結構すごいことなんじゃないですか?あとでネットで探してみます(笑)。さて、ここまでは駆け足で幼少時代から大学までを振り返ってもらいましたが、ここからはいよいよ今の津田さんに直接つながるお仕事の話です。そんな大学生活を送られた津田さんはどんな就職活動をされたのでしょうか。

津田

東京で広告関係の仕事に就きたいと思っていくつか受けましたが。広告は今も昔も人気業種で倍率も高い。面接までは残っても最後にふるい落とされるという感じで、東京での就職は叶いませんでした。半ば諦めて、目指す業種、業界自体も変更しようかどうしようか、と考えていたときに大学の先生から「メディアや広告の世界でやっていきたいなら、まず地方で経験を積みそこからステップアップできるのでは?まずはその門をくぐることが大事だ」とアドバイスされ、地元・愛知県の会社を紹介されたんです。そこは映像製作会社で、地元のキー局の情報番組やケーブルテレビのコンテンツを製作している会社でした。

──

企画に関わりたいと考えてたわけだから、ディレクター、製作スタッフとして応募されたんですよね。

津田

ええ、自分ではそのつもりでしたが、なぜか面接のときに「君、目はいい?」とか聞かれて、数日後に送られてきた合格通知には「撮影課に採用」って記されていました。今、思うとここが僕のキャリアのターニングポイントかもしれません。