諦めずにまずは考える、工夫することを教えられた映像制作会社時代|ユーザーズボイス10

リアルタイムCG合成の世界
トップランナーだから見える未来

株式会社サイバーエージェント/株式会社CyberHuman Productions

津田 信彦 

諦めずにまずは考える、工夫することを
教えられた映像制作会社時代

──

自分の希望であるディレクターなどの企画サイドではなく技術スタッフとして採用された。それがその後の津田さんのキャリアのスタートになったわけですね。

津田

そうです。撮影課に配属されたからといってもいきなりカメラマンになれるわけではなく、まずは撮影助手。4年間くらいはアシスタントとしていろんな現場で経験を積ませてもらいました。

──

そこでは主にどのような映像分野に関わっていたのでしょう。

津田

民放キー局の情報番組の一コーナーや、地元のケーブルテレビで放送される番組などです。地方の映像制作会社とはいえ、すごく自分たちの作る作品にプライドを持っている会社で、「クオリティはキー局の番組にも負けないものを」という気概を持っていました。

──

作り手のプライドに満ちていた?

津田

はい。ただ予算やスタッフは東京の番組には及ばない。だから逆に「どうやればいいのか」って、ものすごく考えに考え抜いていました。撮影助手だからといってカメラのサポートだけでなく、音声マンとしての役割や照明のサポートも同時にこなしたり、いろんなことをやりました。自分の枠のなかで責任を全うするだけじゃなくて、スタッフ全員が自分の領域を飛び越えて作品作りに参加するという感じでしょうか。

──

現実的に考えて、映像と同時に音もやるのはかなり難しいのでは。

津田

優先課題は何か、ってことを整理することです。たとえば照明当てて、もう一方で録音の上げ下げをするっていう場合、今、ここではどっちが優先されるのか、どっちが大事なのか、ってことをディレクターに確認して、音だってことになれば、照明は固定にしておいて音に重点を置く。ここでは演者が動くからそれに合わせて照明もカメラも動くという状況なら、カメラ、照明に重点を置くというように。

──

すごく鍛えられそうな現場ですね。

津田

撮影だけじゃなくて現場全体の動き、役割、作品作りの際に何をどうするのかを知ることができて、実際に経験できたのは本当に大きかったですね。撮りたい画があったとして、一見して難しそうなことでも、まずは考えてみる。そうすると「こうすればいいんじゃないか」「あれをこうしたら何とかなるかも」ってアイデアが出てくるんです。すぐに「無理」って答えを出さない、先ずは考えてみるということが自然と身についたのかも知れません。

地元制作会社勤務時代。空撮現場に向かう津田氏

──

現場でしか体験できない得難い経験ですね。予算面でも相当縛りがあったんですか。

津田

「こんな新しい機材があるから買ってください」といって、すぐに予算がおりるっていう感じではありませんから、カメラのアタッチメントだったり、照明機材だったり、それこそホームセンターに出かけていろんなものを自作して工夫しました。なかでも僕の一番の大作はLEDのパネル照明を自作したことです。当時はまだLEDが出だした頃で、照明機材はけっこう重くて、現場での扱いが大変だったんです。簡単なロケでも店舗などの室内撮影になると照明を組むのに時間がかかる。これを何とかできないかなと考えた僕は、LEDメーカーのサイトなどを検索して安くて演色性も安定している部品を買って、自分でそれをパネル型に並べてカメラから給電する照明を作ったんです。これはカメラマンの先輩方から喜ばれましたね。「おいちょっと光足りない」って言われたら、それをさっと出せばすぐに撮影できちゃいますから。

──

ご自身は文系ですけれど、こうした工学系なものづくりってどこかで勉強されていたのですか。

津田

いろんな情報を集めて自分でやってみる完全な自己流ですね。強いて言うなら学生時代からバイクが好きで、自分でカスタムやメンテをしていたので、そういう機械いじりは嫌いじゃなかったですし、無理やりこじつけると父がずっと理系でエンジニアではありました。

──

津田さん自身は元々ディレクター志望。ここをステップアップに転職しようという思いは常に頭の中にあったんですか。

津田

いや正直ありませんでした。仕事も充実していたし、楽しかったですから。

──

そんな津田さんが後に東京に出られることになります。これはどういったきっかけがあったのでしょうか。

津田

入社6年目でしたか、突然ウイルス性胃腸炎にかかって数日間寝込んでしまったんです。思い返すと前日のロケ途中に食べた何かにあたったのだと思うのですが、自宅で寝込んでいるとき「そういえば昔から、海外に行きたい、海外で何かやってみたいって自分は思っていたよな」ってことをふと思い出したんです。それまで仕事で忙しかったから、考える間もなかったのかもしれませんが、本当に突然に。

──

ちょっと旅行したいとか、そういうレベルではなく?

津田

そうです。海外の生活や文化により根ざした形で何かできないか、ってことですね。そうなるとちょっと休みをもらってという感じじゃないから、「これは退職するしかないか」と。ちょうどまもなく30歳になろうかというときだったので、「これを逃すと・・・」っていう気持ちもあったのかもしれません。

──

思いはすぐに固まった?

津田

ええ、ただスタッフもそんな多くない会社ですので、すぐに辞めますっていうのは無責任ですから、会社には1年後に退職して海外に行きたいという思いを伝え準備を進めました。同様に、両親にも思いを伝えたんですが、反対されることもなく背中を押してくれたことは今でも感謝しています。