訪問記

ツァイス、アッベ、そしてショット

カール・ツァイス

カール・ツァイス
カール・ツァイス(1816~1888)は、12人兄弟の5番目としてワイマールに生まれた。1835年から1838年にかけて、イエナ大学の講座を聴講。1846年にツァイスはドイツ東部イエナに小さな工房を設立、大学内の科学機械と顕微鏡の製造と保守をはじめた。産業革命で成功した同時代人と同様、カール・ツァイスは製造工程における科学的裏付けと精度の確保、そして量産化の重要性を認識していた。彼の死後、エルンスト・アッベが同社の社主となる。

エルンスト・カール・アッベ

エルンスト・カール・アッベ
エルンスト・カール・アッベ(1840~1905)はイエナ大学の数学・物理学の教授で、1866年カールツァイスに入社。彼はそれまで一般的だった試行錯誤的な製造方法から脱却し、数学と物理学に裏付けされた科学的な製造方法の導入に成功した。アッベはまた、社会改革者としても知られている。彼は1889年にツァイスの会社組織を財団化し、1900年までに全従業員に対して8時間労働、最低賃金保証制度、医療保険制度、そして企業年金制度を確立した。以来ツァイスの従業員は今日に至るまでカールツァイス財団の偉業による恩恵を享受している。

フリードリッヒ・オットー・ショット

フリードリッヒ・オットー・ショット
フリードリッヒ・オットー・ショット(1851~1935)は、光学三巨頭の3人目。窓ガラス製造業者の息子であったショットは、1875年にイエナ大学で博士号を取得。彼の論文テーマは『ガラス製造における理論と実践への貢献』であった。1884年に彼はツァイスとアッベと協力してショット合資ガラス技術研究所をイエナに設立し、ツァイス顕微鏡と光学機器のためのレンズ製造に携わった。