原点は音楽体験、クリエイターとしての情熱|ユーザーズボイス05

モーションキャプチャの先駆者は
デジタルの未来に何を見るのか

株式会社モズー

竹原真治・棟方さくら 

原点は音楽体験、
クリエイターとしての情熱

竹原

じゃあ僕はモズー設立から話せば良いかな。

──

いえいえ、折角ですからここは時間を巻き戻して、同じく竹原さん自身がこの業界に入ったきっかけからお願いします。

竹原

僕にとっての原点は中学時代の音楽体験からですかね。

──

これはまた随分遡りますね(笑)

竹原

ちょうどYMOが出てきた頃、シンセサイザーに強烈な衝撃を受けて、どうしても欲しくなって秋葉原に買いに行ったのが最初です。中2くらいの時だったかな。そのあと高校の時に同級生に誘われてバンドに入りました。当時はシンセ持ってるだけで珍しかったですしね。そして僕自身は音楽、とりわけコンピューターミュージックに出会ったことで普通の進路にまったく興味が持てなくなってしまって。受験もまともにできず、路頭に迷った感じでした。結局二浪はしたものの、大学は諦めて専門学校に入ったんです。

──

どんな専門学校だったのですか?

竹原

音楽の勉強もしたかったんですが、当時は今のようにミュージシャン系の専門学校はほとんどなくて、音響エンジニアとかそういう裏方的なのが多かった。それで僕はインテリアとかデザインにも多少興味があったので、とりあえずそっち方面の専門学校に入りました。3年でそこを卒業してアトリエ系の小さな設計事務所で働きはじめました。

──

今とは随分かけ離れた仕事ですね。そこからどうやってデジタル映像の世界に向かったのかに俄然興味が湧いてきます。

竹原

最初に入った会社がインテリアデザイン専門の別会社をつくることになって、僕もそこに移ったんですが、そこでコンピュータを導入しようって言う話が持ち上がったんです。ちょうど他の設計事務所でもCADが導入されはじめていたので「うちも入れてみようか」という感じで。それで「竹原君得意そうだから担当して」って言われて、MS-DOSのパソコンとCADソフトを与えられました。CADっていっても2Dですけどね。図面をきれいにかけるっていうくらいかな。手で書いた方が早いんじゃないかと思ったり(笑)。棟方さんも話していますが当時は周りに聞く人がいないんです。マニュアルと格闘して、とにかく何でも一人で解決しないといけなかったんですね。

──

シンセサイザーからはじまって、ここがデジタル映像につながる最初の接点になるわけですね。

竹原

確かにコンピュータは触ってましたが、建築のCADをいじりながら「これは天職ではないな」って思っていました。その時点で自分のやりたいことは別にありましたから。

──

具体的には?

竹原

ゲームです。高校時代、バンド活動と同時並行的に同級生と簡単なコンピュータゲームづくりをやっていて、コンテストとかに応募していました。といっても、プログラミングをやるのは同級生の方で僕は全体の企画と音楽。同級生はそのままゲーム業界に就職しましたけど、僕自身はコンピュータのことは全然分からないし、ゲーム業界で働くスキルなんて自分にはないと思っていた。けれど浪人時代は熱心にゲーセン通いしていたくらいだから(笑)、ゲームは大好き。それであらためてチャレンジしてみようか、って思いはじめたわけです。

──

でもゲームのプログラミング経験があるわけじゃないから、その時点でのスキルとしてはほぼゼロなわけですよね。

竹原

最初の突破口としては音楽。会社勤めしながらサウンドのデモを数曲つくって、ゲーム会社さんに送ったりしていました。けれど全然反応がなくて(笑)。やっぱりコンピュータのスキルを上げなくちゃいけないかなって思ったわけです。そこで、もっとコンピュータを使う会社に入って自分のスキルを高めようと転職活動をはじめました。でもコンピュータ、特にグラフィック系に転職するにしても、キャリアとしてはほとんど売りになるものはなかったわけです。建築系CADを使える程度でしたから、面接に行って「作品を見せて欲しい」と言われ、建物やインテリアの図面、自分がデザインした椅子の写真なんかを見せたりしましたが、もちろん相手はCGで動画タイトルとかつくる会社だから全然ピンと来ない。そこで、秋葉原までマッキントッシュとPhotoshop、それと3Dレンダリングのソフトを買いに走りました。写真などを加工してデジタル作品をつくろうと思ったわけです。