映画TV関連分野

市川崑監督とのご縁

オリンピック撮影風景など数点

単なる一プロショップ(小売店)の枠を超えた「技術による差別化」をベースとするナックの活動は、やがて日本国内の映像作家の方々に受け入れられるようになります。そしてナックの「映像クリエーターのための総合的技術サービス企業」というコンセプトは、映画監督の第一人者だった市川崑監督にも認められました。

市川監督は1964年(第一次)東京五輪の記録映画「東京オリンピック」の総監督を務められました。ナックはこの作品ですべてのカメラの修理、メンテナンスを24時間体制で務めました。当時社員数10人程度であったナックは社員総出でサポートに当たります。失敗すれば会社の将来はないという危機感の中での作業であったでしょう。

多くの関係者のご協力によりなんとか無事に切り抜けることができました。市川監督とのご縁は後に大阪万博の博展映像へとつながります。東京五輪はナックにとって記念碑的な仕事となりました。