映画TV関連分野

横浜工場

1963年当時の横浜工場

1963年、ナックは横浜市の郊外に自社工場を建設しました。いまは港北ニュータウンが開発され都市化しましたが、当時は狸も出る山奥でした。空気の澄んだ日には東京タワーも遠望でき、超望遠レンズの無限遠調整に使ったという逸話も残ります。横浜工場の完成によってスペースにゆとりがもたらされ、さまざまな計測機材や工作機械が制約なく展開可能となりました。「技術による差別化」が一段と具体化されていきます。

また、横浜工場には映画技術の科学技術分野への応用を研究・企画する「技術部」、そこで企画された機材を実現するための「設計部」、それを生産する「製造部」が設けられました。 特徴的なことは、「技術部」が単に機材を設計する部署にとどまらず、新商品を企画する機能を有していたことです。これによって映画技術の他分野への応用が組織的に推進されました。後に商品化されるさまざまな機材はこの部門の研究から生み出されました。